rushuton のイースターバニー***
もうすぐ、イースターですネ***
たぶん、橋本治氏の文章なのだと思うのだけど、
お部屋を片付けていたら、気に入った文字の走り書き。
(→図書館で借りた本の、気に入った部分だけ、書き抜く癖があるので)
「別にスポーツには限らなくて、なんでもそうだけど、
<自分のやっていること>は、あまりたいしたことじゃない。
<たいしたこと>というのは、<自分のやるべきこと>だ。
<自分のやっていること>の向こうに、<自分のやるべきこと>という一段高いハードルがあって、
それを直視して、それを越えようとしないとだめだ。
そこら辺を、昔の日本人は、<神を見る>というように考えたんだと思う。
コートにも<神>はいるし、原稿用紙の向こうにも<神>はいる。
*
何をしていても、このことを、いつも思う。
たとえば、作品の感想を求められても、
うまいとか、ヘタとか、綺麗だとか、可愛いとか、
本当は、そんな表面的なことは、私にはどうだっていいこと。
作品が持っている、その奥に、その人がなにを持ってこの作品を作ったのか。
そういうものが、その人自身の中でどれくらいの強度があることで、
その表現が、作品の一部として、力強くなにかに宿っていて、
その力強さが、私自身の大切にしたい想いと共鳴するとき、
その作品を、美しいな・・・とか、可愛いな・・・と感じる。
だから、私にとっての可愛いや、美しいが、すべての人がそう感じるとは想わない。
強要するつもりもないし、強要されることもキライ。
じゃあ、なぜ、お店をしているの?
って、そんな奇跡のように素敵な作品を見つけて、
こんなにすばらしいんだーーー!と叫びたくて叫びたくて仕方がなかったからだ。
へ~で、終わる人がいてもいいし、
それのどこが?!と思う人がいてもいい。
誰が認めなくても、私はこれが好きだから!!!と
叫びたくて仕方がない衝動が、理由はないけど私にあった。
ただ、それだけのこと。
そして、不思議と、感性があるかたばかりが、
こんな乙女屋を探し当ててくれて、
私も、おもいます・・・て、ナイショ話みたいに、打ち明けてくれた。
その感謝と奇跡で、いまがあるだけ。
*
いままでのところ・・・・でしかないけれど、
最初にみて感じる直感というのがあって、
それは、いままでハズれたことはない、よくも、悪くも。
自分のやっていることの、その向こうにあるものを、見ようとしているのか、いないのか。
それは、とても大きな違い。
ほかのひとにとって、それが正しいかどうか、わからないけれど、
私にとっては、それがとても大切なこと。
*
なんて、たわごとはどうでもよくて、
私は、私のやっていることを、
やるべきことをみつめて、今日も一日がんばりましょう。
*
大切なおとめやの作品たちが、
無事に、お求め下さったかたのところへと届き、
末永くそのかたの心に寄り添うことができますように・・・・
と祈りながら、通販のお仕事に取り掛かります。
それでは、みなさま、ごきげんよう・・・・*