「バルテュス、自身を語る」 を 購入。
読んでいると、とても心が落ち着きます。
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「イタリアのプリミチフの画家たちの謙虚さを思うと、
いまでも真似をしなければいけないと思います。
私はいまの現代画家たちが溺れている個性第一主義にはいたく憤慨しています。
そうではなく、日々より目立たず、
要求する絵を描く行為のなかでだけ見つけ、
つねに自分を忘れるようにしなければなりません。
それなのに、いたるところで目にするのは自己の展示、個人的な告白、
内密の打ち明け話、自己ののぞき趣味、自己宣言のみ。
私がよく言うのは、語ったり探求しなければならないのは、自分を表現することではなく、
世界、その神秘と闇を表現することです。
途中で、たぶんその人ならではの鍵はいくつか見いだすだろうけれど、
しかし、それは目的ではありません。
ときどき、私は自分の道が簡単ではなかったこと、
若くして、あるいは急激に認められた画家たちのように輝ける道が開いていなかったことで、
少し悔しさや恨みを抱くことがありました。
しかし、私は、孤独と要求に厳しい道をただひたすらたどりました。
騒々しい、安易な世界で絵は描けず、そのリズムに合わせることはできません。
そんなことよりもつねにもっと孤独を、
もっと音のない世界を自分のものにしなければなりません。
過去の巨匠たちが大勢集まるところに身を置き、
世界を新しく立て直さなければならない。
間違った美声に魅惑されたり、
お金や画廊や社交界の駆け引きなどにうつつを抜かしてはいけない」
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こういうことを求めている”表現”に私は憧れ、
そこにある静かな佇まいに、自分の心もしん・・・と静まるのを感じます。
こういう世界を求めて・・・・
私は乙女屋をはじめたはずなのに、
現実に立ち向かうために、いろんなことをしていると、
騒々しい安易な自己主張を押し付けられ、振り回され、
いろいろな駆け引きを持ちかけられ、もうすっかり、疲れてしまいました。
私が、乙女屋として、やりたいことは、そんなことではないのです。
好きなことを保つために、好きじゃないこともやらなければならないのかと
たくさん我慢してきたけれど、それはお互いのためによくなかったと、
いまになって振り返ればよくわかるから、
そこには、私にも、断りきれない自信のなさがあったのですから、
嫌われたくない、という卑しい気持ちの甘えがありましたから。
そんなことを思っているいまのこころに、
潤いをもらえるきらきら輝く鉱石のような、言葉と哲学の数々・・・・・
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