「変わること」と「使い捨ての軽薄な流行」の境目がわからない。
そのせいか、「数学の定理のような絶対真理」や
変質することのない「鉱物」や年代物の「ガラス」の硬質さのような
「永遠」を感じられるものを、探していました。
それらに馴染めなくて
「普遍的な美しさ」「絶対的な真理」のように
「永遠」を感じられるものを
どこかに見つけたいと思います。
***
数年前の、<毬>のための下書き文がでてきました。
・・・・この文章をまとめようとしていたとき、
とある、私のなかでとても大きな出来事があって、
そして、そのことから、私はこの下書きのときの気持ちを捨てて、
もっと先の、もっと深い所、もっと高い所へいきたくなって、
生まれて初めて、変わりたい、と自分の意志で選ぶことになりました。
だから、<毬>に載せていただいた文章は、
この下書きとはまったく別のものになりました。
あの頃の私は、なにもかもがとても怖かった。
だから、いろいろなものに、なにかを投影して、
いつも、どこか、ココではない場所に憧れて、
でも、だけど、変わることに、流れていくことに、
ずっとおびえていたのかもしれません。
今の私は、もうなにかに依存することはないかもしれません。
依存していたあの頃を時々愛しく思ったりもしますが、
すべてもうおわったころで、戻りたいとは決して思いません。
だけど、あの頃にはあれらがどうしても必要だった。
だから、いま、あの頃の私のように怖くて怖くて仕方がない人がいて、
そのような人が、ああ、思わず手に取りたくなるような愛しいものや、
怖くても、無理をしてでもどうしても手に入れたい憧れのような美しいモノにであって、
そして、なんとか明日もいきていこう、と「思えるようななにかを
乙女屋からご紹介できたらいいのにな、という想いは、
いまも変わらずに、私の中に在り続けます。
今年もがんばろうと思います。
さらに、今まで以上に。
険しく、厳しく、でもそのさきに、優しくなれるように。