乙女屋の原点へ。

ごきげんよう。

この記事をご覧くださっているあなたはどなた?


本当にどーでもいい記事を書きます。
読まなくていいです。


と、前置きしたうえで。

先日の音楽会 (→http://otomeyanet.exblog.jp/25686150/ )で、思い出したことがありました。


それは、

「私は、いつだって、居場所がどこにもなかった。

だから、乙女屋を始めたんだった、ということ」

ということ、です。




音楽会を開催してくれている京都のアンティーク喫茶 迷子さんを知ったのはおそらく約16年前とか、18年前とか、それくらい前の話です。

その頃、私には、居場所がなかった。

当時、大好きな物、世界観、信じているもの、が自分の中に確乎たるものとしてあるように思っていた。
だけど、世間の流れは、いつも私の想いと逆の方向へ向かう。
世間の流れ、というか、現実そのものが、だったかもしれない。
客観的事実がどうだったのか、それは今の私にもよくわらからないけれど、当時、そんな風に感じていた。

動き出せない自分の情けなさを棚に上げて、取り残されていく気持ちばかりに気がいって、自家中毒状態。

くっだらない!ですねー、書いてて自分でも思いますが!
まあ、聞いてよ、だって、今年、乙女屋、10周年やし、お祝いなんて、いらないから。この話、聞いて。


でねでね、その頃、偶然、迷子の前の道を通りかかりました。
雑誌の載っている京都の喫茶店を訪ねた帰りだったか、なんだったか。

当時の迷子は、雑誌取材はすべて断っていた。
だから、雑誌には乗っていなかった。

私は、目的地ではなかったけれど、目前にある洋館の一室に釘づけになった。
そして、なにひとつ私に買えるものはないかもしれないけれど、
こんなにもお高そうなお店だから、私なんて鼻で嗤われるのかもしれないけれど、
それでもなんでも、そんな怖さよりどうしても、窓からちらりと見える空間に魅せられる想いのほうが強かった。
傷つくかもしれないリスクを越えてでも、どうしてでも、そこに入りたかった。

扉を開けた。
アンティークの家具が並んでいた。
大きなカウンターの向こうに店主がいた。
SPレコードが流れていた。

入った瞬間に、

「ああ、いいんだ。
私が好きな世界は、これだ。
世間の流れがどうであろうと、私はこれが好きだ。
それでいいんだ」

そう、感じた。

世間の流れと違ってもいい、そんなことと関係なく存在する美しい空間が、そこにあった。

一歩足を踏み入れた瞬間に、涙がでるくらいの感動があった。

私の毎日が、なにも認められなくても、
私の思い描く方向と、現実のなにもかもが、逆方向に進んでいたとしても、それでいい、
それはそれ。
私が、自分が好きだと思うことを、変える必要はない。
私は私の好きを、守り続けたらいい。

って、誰に何を認められたわけはないのに、
ぐわーーーーって、心の奥から感じたのでした。

あれは、いったい何だったのか、説明できないけれど、あの時の感覚を、先日、すごくリアルに思い出したのです。


ですから、迷子は、大袈裟ではなく、私にとっての「浄土」でした。

私が、本当の意味で許されて、癒される場所でした。



誤解を恐れずにいうと、私には、いまも居場所はありません。

そのことを、心もとなく思ったりしましたが、
でも、それこそが乙女屋の原点だったことを、思い出しました。

だから、これでいいんだってこと、を。



世間の多くの流れが私の想いと違ったとしても。
世間の多くの流れだけじゃなくて、現実そのもののが私の想いと違ったとしても。

私は私でいたらいい。

私はそういう場所の存在に支えられて、かろうじて生きてこられたし、
だからこそ、乙女屋を守りたかったんだということを、思い出しました。



なんで忘れてたんでしょーねー。

大事なことを、しょっちゅう忘れて、どうでもいいことばかりに振り回される私を、まだ愛してくれますか?
とっくの昔にがっかりして、乙女屋のことなんて忘れてしまいましたか?
そもそも、愛していませんか?
あ、そうですよね、そもそも、知らないですか?どーでもいいですか?

でも、それもすべて自由です。

自由です。


あなたも、そして、私も。


そのうえで、も、私は信じ続けたかったんだった。

だから、別に今更嘆く必要なんてなかった。
迎合する必要もなかった。

なんで、忘れていたんでしょーね。


理解できなかった?

ぜんぜん、それでも嬉しいです、もし、最後まで読んでくれていた人がいたならありがとう!









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by otomeya | 2017-04-11 19:08 | 日々の戯れ


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