昨日は、可愛い市松人形さんをご披露しました★
(私のコじゃないのが、残念なのですが(>_<))
お世辞じゃなしに可愛いな~って思って何度も見ているのです。
そして、ふと思ったのですが、このコのほっとするような優しい表情は、
お人形自身が、長いアメリカからの留学から無事に帰ってこれて、
新しい家族に安心しているからなのかもしれません。
文献は、何になるか確認がとれていないのですが、天野可淡さんによると、
ヒトが人形を選ぶように、お人形がヒトを選ぶのだそうです。
川原由美子さんの「観葉少女」のお人形さんも、やっぱりヒトを選んでいました。
私も、なんとなくそうゆうのはあるような気がします。
なんとなく、お人形をただの愛玩具や飾り物としての唯物と思えないカンジがあるんです。
別に人格があるとか、念が篭ってるとかでもないんだけど。
その感覚は幼いころからなんとなくあって、だから幼い頃は人形はキライでした。
恐かったんです。唯の物とは、どう理性で説明しても思えなくて、
動かなくてじっとしてる、何か得体のしれないもの。
という感じがして、自分の中にどのように位置づけていいか、わからなかった。
なのに、色んな巡り会わせで、お人形は、とても憧れる女神のような存在で、
でも自分の中の少女を投影させられるような、なんとも不思議でありがたい相手として、
今はそばにいたいと思う相手になりました。
人間、出会いによってどう転ぶかなんて、ホントにわからないものです。
「サンジェルマンの人形屋の前で、
僕は人形となら、うまくやれるかもしれない
とおもった」
と書いたのは寺山修司。
私も、人形を好きになったころ、ちょうどそんな気分だった。
今は、お人形がそばにいて、そして色んな人と、お話したいと思えるようになりました。
もし、なにか傷ついてしまっても、慰めてくれる人や愛する猫とお人形がいてくれる。
心のどこかで、そう思っているのかもしれない。
なんだか、つまりづまりの、結局何が言いたかったのか、
よくわからない文章になってしまいました。
つれづれと...自分のお人形について思い返してみただけです。
また、気が向いたら続きをかくかも。
え?どうでもいい?
いや~ん、そんなこといわずに、
色々、あなたもご自身を振り返ってみたりしてくださいよぉ★
そして、お話しませう。
そこでは、私もあなたもきっと永遠に少女でいられますよ...
なんてね★