カテゴリ:文章( 3 )

年を重ねるって・・・・

ジャスミンの香りが、風の中から感じられるたびに、

あの季節の迷いと悲しみと愛しさを
まるで今の気持みたいに思い出して、泣きそうになります。

今はもうない感情なのに、
あの瞬間へと どうして瞬時に心は戻るのだろう?


ミモザ

あじさい

すずらん・・・・。


もともと大好きだったお花たちに、
私とあの人との秘密の思い出が重なっていく。

無常の時の流れの中で、永遠の愛しさほど
取り残されて、輝き続けているのに、決して戻れない切なさを包括して、
それは ”愛しいものは悲しい” の影山多栄子 さんのtristeな幻の人形店の扉を
記憶の中で探し始める。

数々の諦念を花束にして、
以前の私にそっくりな泣くことさえできない少女に贈ろう。


・・・・・年を重ねるって、素敵なことだね。
[PR]
by otomeya | 2014-05-08 10:05 | 文章

不思議な毎日

いろんなことが ありました。

いろんなことを おもいだします。

変わることが怖くて、忘れてしまうことが怖くて、
ぎゅっと握り締めて、頼まれてもいないことを勝手に背負い込んで、
それでいて、いつも逃げ出したかった。

そんなときがあった。


いまは どうだろう?

この月日は、なんだったのだろう?


変わることを恐れないで、
変化の中で、様々な困難の中で、
私が、一番大事にしたいこと。

それは、「なにが美しいのか?」ということ。

ぎゅっと握り締めて、枯れた花をいつまでも想って、時には泣いてもいいとおもう。

でも、その想いを胸に秘め、次の花を咲かす美しさだってあるだろう。

形式的な”美しさ”ではなくて、 もっと 奥行きのある ”本当の美しさ”。

瞬間瞬間に流れていくこの時間。

一秒一秒が、失われていく、この無常さ。

年を重ねて、いつの日か。

いま以上にいろいろなことを乗り越えて、
やわらかく微笑みながら、あの場所で、
あなたと一緒にまたお茶を飲みながら、
静かな時間が過ごしたい。


乙女屋の夢は、そんな些細なもの。


木蓮の花が、もうすぐまた咲きます。

春は、きっともうすぐそこです。
[PR]
by otomeya | 2014-03-13 23:14 | 文章

フリーペーパー「毬」 11号が仕上がりました。

大好きなフリーペーパーの11号が仕上がってまいりました。

今回のテーマは「未来」

今回も私の文章も、載せていただくことができました。

自分が関わる前からも、
とても大好きな媒体でしたので、
そこに文章をのせていただけるなんて、本当に嬉しいです。

店舗や通販で、きまぐれに配布しています。

どうしてもほしい・・・とおっしゃってくださる方は、
お声をかけてくださいね。


*

「毬」には、毎号、テーマがあります。

最新号である11号は「未来」がテーマで、
今回は、私は比較的、自分の中に何かがあったので、
答えを導き出す作業がとても楽しかったです。

その前の号のテーマは「変わる」だったのですが、
こちらは、とても苦労しました~~

なにせ、「変わる」ということは、私の中にそれまで、
否定的な意味がとても強かったのです。

でも、ちょうど、「変わる」がテーマで文章を書きませんか、とお話をいただいたとき、
ちょうど、「変わりたい」と、生まれて初めて思う、強烈な出来事があったので、
これは、ぜひ、書いてみたいと思って、参加させてもらいました。


が!

書けなくて、書けなくて・・・・

そもそも、私の文章は、本職の人からすると、
文法的にたくさん間違いがあって、読みにくい!と言われたりするし、
論文を書いている人には、見てもらったこともあるけれど、
相手にもされないシロモノですから、
文才なんてものはないのです。

が、

書くことが好き・・・というか、
考えぬくこと、というのが、どうにも楽しくて、
何か、物事の本質的なことを、いつも見つけたくて、
それが、なんだか、美しさということに繋がっている糸口のような気がして、
考えて考え抜くには、文章を読んだりすることもあるので、
そのまま、自分の考えをまとめるために、
文章を書いたりするわけで、
「毬」に書く文章は、いつも、ものすごくたくさんの文章を読んだり、
ものすごく考え抜いて、自分にとってその言葉がどういう定義であるのかを、
見つけるような作業で、しかも、それを見ていただけるということは、
とても刺激的なことで、ありがたいです。

が、それにしても、「変わる」は、刺激的で楽しかったのだけれども、
まあ、なにせ、自分の中の「変わる」が
否定的な意味から、肯定したいと思う変化の過程で書こうとしたものだから、
締め切りがあるのに、なかなかまとまらず、日々、思うことは変わり、
コレではだめだ・・・と、かなり泣きそうでした。


結局、これだ!と、そのときには思える文章を見つけることができて、
無事に提出できたのですが、
本当に、これは、もう無理かも、と思って、
自分の言葉ではなく、半ば、「逃げ」もあって、
「毬」について、「変わる」の視点から、書いた文章があります。

*

*

*

「変わる」ということにあまりいいイメージがない。
目新しいものを探したり、前進、進歩を目指すより、
懐かしいと感じるものが好き。
ずっと大事にしたいと思えることのほうが心地がいい。

今、手に取ってくださっている「毬」という媒体は、
執筆者メンバーに入れ替わりがある。

そのほかにも、様々な工夫や試行錯誤、
新しい試みが毎号されている。
なのに、一貫して変わらずに、懐かしさに近い親しみを感じられる。

それはなぜだろう。

「毬」のコンセプトがしっかりと守られていることと、
新しい試みの数々は、
長く続けるうちにでてくる「まあ、これでいいか」という妥協をしないために、
ずっと新鮮な気持ちで、続けていくための工夫のように思える。

「毬」を見ていると「変わる」ことは悪いことばかりじゃないなと思える。

大事なことを守るために、
柔軟に変化を受け入れられることができるようになりたいと
「毬」から、教えていただいたように思います。


*

これは、これで、とても考えて書いた文章です。

せっかくなので、残しておきたいな・・・・と思いましたので、
こちらに保存してみました。


つたない文章ですが、応援してくださる方、
共感します、といってくださる方がいらっしゃることは、
とても嬉しいことです。


これからも、よろしくお願いいたします。


最後に・・・・

いま、読んでいる本の中で、大好きな言葉。


「優れた詩人が
美を歌ったことはない。

それは描くものではなく、
歌ひ得るものでもない。

美とは、
それを観た者の発見である。

創作である」   (青山二郎)


「わかるなんてやさしいことだ。

むずかしいのは、することだ。

やってみせてごらん。

美しいものを作ってみな。

できねえだろう、この馬鹿野郎」


そういいながら、指先で叩いてみせる。


「ほら、コップでもピンと音がするだろう。

叩けば音がでるものが、文章なんだ。

人間だって同じことだ。

音がしないような奴を、俺は信用せん」

青山二郎の素顔―陶に遊び美を極める より引用)
[PR]
by otomeya | 2010-12-19 11:13 | 文章