カテゴリ:乙女文学( 10 )

おすすめ本、ついに復刊!

復刊ドットコム   http://www.fukkan.com/

絶版になっている本を復刊させてくれるように運動してくれる
本好きには救世主のような存在のHP。
ここで、いよいよおすすめの一冊が復刊します!

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月刊予約絵本<こどものとも>
「なおみ」
   谷川俊太郎作 沢渡朔写真

   「なおみは いる
    いつも
    わたしの うまれる
    ずっと まえから
    なおみは いた
    わたしのそばに」
日本人形と少女の妖しくもはかない物語のこの絵本は、
私の特にお気に入りの1冊ですが、幼少向けの絵本がでることはあまりに難しく、
今まで紹介できませんでした。
手に入らない本を、お気に入りとして紹介するのは、
読みたいと思った方になんらかの提供のメドがたたなければ、失礼な気がして、
自分のコレクション自慢めいてイヤなのです。
で、この度、復刊が決まったこの本を、ひとあし早くご紹介。
興味を持たれた方は、ぜひ、復刊ドットコムで入手してくださいね。
なおみのページ↓
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=3889
別に宣伝したところで私はまったく儲かりませんが(笑)、おすすめなのです
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by otomeya | 2005-10-24 12:03 | 乙女文学

これぞ乙女文学最骨頂!

素敵な本を紹介していただきました☆(S様、ありがとうございます!)


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「りかさん」梨木香歩/新潮文庫




人形好きには、たまりません!

という推薦文つきで教えてもらったこの本。
私は作者の名前さえ知りませんでした。

「リカちゃんが欲しいと頼んだようこに、おばあちゃんから贈られたのは黒髪の市松人形で、名前がりか・・・」

カバーのあらすじをここまで読んで、
「あ!これはそりゃ、たまんないかも~!」とすぐレジへ。

はっきり言います。この本には、お人形を愛する心のすべてが詰め込まれてる。
お人形を愛する気持ち。それが何なのか
なぜ愛するのか
それはお人形からみたらどうなのか。
それは、お人形という存在そのものの問いと答え。
そして、お人形をつくり、必要とする人間の姿と成長。
お人形と人間が作り出す、理想の関係。
大人になるために、お人形が教えてくれること。
優しさも美しさも醜さも痛みも。
色んな気持ちが、この1作に詰まってる。

私は、読んでる間に、このすべての感情を揺すぶられました。
そして、私の元にいてくれるお人形たちが、今まで以上に愛おしくなりました。

まだ、お読みでないかた、ぜひ読んでみてください!!
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by otomeya | 2005-10-09 11:04 | 乙女文学

秘密のお手製少女詩集の話

今回のFAIRには、お手製のノベルティをつけてみました☆

*秘密のお手製少女詩集*

なんて、大袈裟な名前で、実際きたらこんなんか・・・と思われてないかしらん?
と心配してます。
その中に収録した、とある詩は、
以前の「詩とメルヘン」という雑誌に、
よく似たポエムが宇野アキラ氏のイラストで載ってました。

やっぱり宇野アキラ氏の描く少女は、たまんないです♪

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アルクト・ギイに腰掛けて
       詩 麻林モンロ

うちの階段の二段目は
歩くと ギイと音がする
だから 名前は アルクト・ギイ

アルクト・ギイに腰かけて
手紙を読むのが お気に入り
心 ソワソワ 躍ります

心に雨が降った日は
ひざを かかえて もの思い
アルクト・ギイも おつきあい

ひとりぼっちの夜更けには
つまさき立てて おりるけど
やっぱり ギイ と目をさます

アルクト・ギイに腰かけて
私は 今日も 夢を見る
いつか ふたりで 暮らせる日

     
      (「詩とメルヘン」1977年6月号より)
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by otomeya | 2005-10-07 16:10 | 乙女文学

甘酸っぱい空間

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「目下、私の好きなものを一言でいえば、甘ずっぱさのあるものということになろうか。
なつかしいもの、やさしいもの、しかし、ただそれだけではなく、
その中心に悲しみのようなもの、
生きることの悲しみのようなものが混じっている、
そういうものが好きだ」

何度となく引用させてもらったこの文章は、
蔵書整理最終回で売りに出している「The西洋骨董」の金子國義氏のエッセイの一部です。

金子さんの描く世界感はよく聖なるエロティシズムと言った
バタイユ的なほうばかり称賛されがちな感じがしているのですが、
そういう世界も含めて、すべての金子先生の世界に通じる価値観だと思います。
それは私が強く共感すりゆえのこじつけかもしれません。

生きていくことの、何が悲しいのか?と問われても、なんだかうまく言えません。
充分すぎるくらいの幸福な環境に、不満があるわけではありません。
私はこんなに不幸で恵まれない・・・というオーラの人は、苦手なくらいです。

金子國義氏には二回、直接お話したことがあります。
特別なパーティではもちろんありません。
展覧会のパーティでした。
テレビ出演も事前にわかれば、必ずビデオに撮ります。
とても穏やかで明るくて、傍にいる人まで幸福にしてくださるような、素敵な方です。
斜に構えたような暗い方ではありません。
その人からでてくる「生きることの中心にある悲しみ」は、
何か不満だからとか、不幸だから悲しいとは、絶対に違うと思います。

内田善美という漫画家の作品によく描かれる世界観に
「愛していればいるほどに悲しい」という価値観があります。
たとえば、愛する人を失ったとき・・・。
その人を愛していた分だけつらい。
どうでもいい人を失うのと、まったく違うはずなのです。

そこで、内田善美の出す答えはシンプルで当たり前のようで、
実はすごく強い思いが必要なものでした。

それは「いつか失ってしまうものを、今、そばにいるうちに思い切り愛する」
ということでした。
「たくさん愛した分だけ、たくさん思った分だけ思いは必ず帰ってくる。
だから、もっともっと愛せばいいんだ」
「そうすれば、一緒に過ごした日々ににた木漏れ日の中に(亡なったあとでも)母さんの伊吹を感じることができる」(草冠の半獣神より)

それが例えば、人じゃなきてモノや人形や、猫ちゃんになっても、
きっと近いものはあるのです。

骨董を愛する人の気持ちって、
根底にこういうのに近い思いがあるんじゃないかしら?

と思うのでした
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by otomeya | 2005-10-06 12:34 | 乙女文学

ありがたいお言葉たち Ⅱ

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角川春樹文庫 ランティエ叢書
「美しくなるほど若くなる」 白洲正子著

「しょせん世のもろもろの美しきものに私達があこがれるのも、
人間の弱さからであります。
それが堕落しやすい私達を辛うじてささえもし、
またそれらのものの前でなら、
感傷的になることなく、安心して、手放しで涙をこぼすことも出来るのです。

大人も泣くことが出来るのです。

自分が弱いものであることを痛感しないかぎり、
芸術家でも美術家でもありません。
人間の感情、気まぐれな好みとか、たよりない言葉は十人十色であり、
その時々変わるものであるにかかわらず、
また美しいものは世の中に多いにもかかわらず、

美はたった一つしかない。

そういうことを美術は教えます。
たった一つしかないからには、それはものの美しさであるとともに、
それをつくった、あるいはそれをつくらせた人の美しさでもあります。
結局、真の人間嫌いとは、ですから、

ほんとうは誰よりも人間を愛する人のことをいうのです。


「いかにして」、「なぜ」、「なんのために」、
問題は手あたり次第そこら中に転がっている筈。
そして追い詰め追い詰め自問自答をするうちに、
必ずハタと行き当たるものがある筈です。

それが、あなた、です。
それが、あたし、です。

それが総合的に統一のとれた一人の人間の姿です。
少しもあいまいなところのない、いかにもはっきりした自己の姿であります。
おそらくそれは大した立派なものには見えますまい、
もしかすると小さな小さな、ほんとにつまらないものに思われるかもしれません。
しかし、いかに小さくとも、いかにみじめに見えようとも、
それはそれなりで美しいのです。
どんなにみすぼらしくとも心身ともに健康な人が美しいのと同じように、
芸術でも人間でも、総合的な美しさにまさるものはないのです。



どんなに美を解さない人でも、人間と生まれたからは、ほんのちょっとした折ふしに、
必ず心に触れる何ものかがある筈です。
ほんとうに「ああ、いい」とため息をもらすほどのものに触れたとき、
思わず手を合わせたくなる、
その気持ちこそ何よりも大切にしなくてはならないと思います。

それはまたたくまに消えてしまいましょう。
が、度重なるうちに次第にはっきりした形を備えてゆき、
ついには私達はれっきとした存在を真ずるまでに至ります。
その形はますますあざやかな輪郭を現しつつ、大きく育ってゆきます。
ふつう経験といわれるものは、度重なるにつれて馴れてゆくものです。
しかし、これは別です。
これはその都度まったく同じものでありながら、
しかもその度に、まるで初めて起こった出来事のように、
新しく、めずらしく、あらためて私達はびっくりするのです。
それは古い古いものであるにもかかわらず、しかも驚くべきあたらしさです。
若さです。

そういうものを、芭蕉は「不易」と名付けました。
世阿弥は「花」といいました。
またある人々は「つねなるもの」あるいは「永遠の美」と呼んだりします。

これらはみな一様に、変わらぬものの美しさという意味であります。


本当に美しい言葉の数々。
蔵書整理にてご紹介していましたが、御本はご予約が入りました。
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by otomeya | 2005-09-22 21:14 | 乙女文学

ありがたいお言葉たち

「頭は使わなければさびつきます。
人間も磨かなければ曇ります。
若い頃美男だった人が三十になるとふつうの男になり、
四十すぎると見られなくなるのは、みんな自分のせいです。
時間のせいではありません。
本来ならば、人間は老人になればなるほど美しくなっていいはずです。
また実際にそういう例もたくさんあります。
英国人の中でも殊にいいのは老紳士、と昔から相場がきまっていますが、
つらつら思えば偶然そうなったのではないようです」

・・・・・本日も、蔵書整理に出している白洲正子氏のお言葉でした。

「私はすべての若い方達に目にみえるものでも、
あるいは目にみえないものでも、たった一つでよろしい、
どんなに小さくとも自分の一生をかけて守り通す大切なものを
おもちになることを切におすすめします。
考えただけではいけません。
そのためになら何ものをも捨てるほどの覚悟とそれから勇気をもって、
ただそれのみをみて突進なさい。
     (同書 の 創造の意味の章より)
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by otomeya | 2005-09-21 21:46 | 乙女文学

美しくなるにつれ若くなる   白洲正子

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本日、蔵書整理を更新しました。
15日更新のはずだったので約5日遅れ・・・・。
で、今回で最終回にしようと思いつつ、
どうしようかな~~
と悩んで、25日分も出しておこうと思って、
2冊出してます。
送料のほうが高いんじゃない?
っていう安い本ですが、価値ある二冊です。
いかがでしょうか?

1冊の本のタイトルを今日のタイトルにしました。
ものすごぉく惹かれるタイトルだとは思いませんか?
中身は芸術論ともとれるような、
オトナのオンナのたしなみのことがぎっしりと・・・・。
結構硬い感じで書かれています。

おお!さすが・・・・。
と思うところもあれば、私の主観でいけば、
少し感覚が違うな。
と思うところも、実は少し・・・・・、あります。
そうじゃないよ!っていうほどでもないけど、
なんか説教くさいように思ってしまうところが・・・・・・。
あるような気がするのですが、どうでしょう?
私がちょっとだらしない人間だから、耳が痛いだけのような気もするけど・・・・(苦笑)

でも、何かと評価の高いこの方の本は読んでおく価値は十分にあると思います。
この本の中でお気に入りの箇所は・・・・・

「立派な人は、多くをしゃべりません。
たったひと言で磐石の重みを持ちます。
何につけ、結局は最後のものは一つしかありません。
どんなに多くの言葉をついやそうと、私たちはたった一つのことしかいえないのです」

「美というものはたった一つしかなく、
いつでも新しく、いつでも古いのです」

        (「美しくなるにつれ若くなる」  白洲 正子著より)
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by otomeya | 2005-09-20 15:09 | 乙女文学

失われていくもの。変わりに手に入るかもしれないもの。

どんなに「少女」の繊細な存在に憧れても、
お人形ではないかぎり、歳を重ねてしまいます。
歳の数字に惑わされないように、
つまらない常識にとらわれないように、
なんて言って見ても、
確実に十代の女の子の肌ではないのです。

あの、肌の下のみずみずしさ。
重力に逆らって膨らんだ薔薇色の頬。
うるんだ黒目、艶やかな髪、幼さの残るふくよかな手足。

失った今となって、その年頃の女の子を見る度に、
若さという美しさを美しいなぁ、と思います。

バレリーナの宿命の悲劇を描いたドキュメント映画「エトワール」では、
知性、人間的な感情を表現する力、
バレリーナとしての身体的技術を手にするころ、
若さからくる美しさはくだり坂に差し掛かるという宿命が描かれていました。

知識を学び、歳を重ねて悲しみも喜びも知り、
技術も身についてそれを心から表現できるようになるには月日がかかる。
積み重ねてきたものが、完成に近づく頃、
年齢からくる美しさが散りゆく桜のように一瞬のしか残されていないのだという。
一瞬が終われば、バレリーナたちは舞台を去っていくしかない。
エトワールも、その他もみんな。

さて、となれば、少女に焦がれる女性の私はどうすればいいのだろう。
亡き少女の像に醜くすがりついて、
似合わなくなった少女のドレスを着ているのは、イヤ。
でも、好きでもない、ときめきのないお洋服は着たくないし、
そんな生活もイヤ。

*************
この何年か、圧倒される思いで見つめ続けている桜の若木がある。
公園で種を拾ってきて鉢で育て、
その後に移った新しい家の、小さな中庭に植えた。
若木は土に根を下ろしてから、信じられぬ勢いで枝を伸ばした。
初めての花を咲かせた春は、感動で叫びたいほどだった。
それから新芽や夏の緑や秋の紅葉、
冬枯れの裸の枝さえもが美しく感動的に思えて、
眺めるたび涙が滲むのだ。
あの桜のようにのびやかに美しく、風や太陽とあんなにも気儘に語り合う、
同じ存在であってほしい。
と、若い女たちのひとりひとりに囁きかける。
顔を見て話すことは不可能なので、
四季に創る服のひとつひとつを通じて話した。

******************

少女のように、若木のように。
年齢などは超越して、永遠に輝かな魅力をいつも生き生きと息づかせていてほしい。


(金子功のブラウス絵本/文化出版社より引用)

******************


バレリーナでない私たちは、若さが失われてしまっても、
他のもので若さゆえの美しさ以上に美しいもの
を持つことがきっとできるのです。
少女の心を大切にしながらも、
それにいつまでもしがみつくのではなく、
いつまでも見た目だけのわかりやすい少女らしさにこだわるのではなく。

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東京 高円寺にある名曲喫茶「ネルケン」のマダムはまさにそのような理想の女性。
ふっと出てくる言葉の美しさ、心使いの優しさ、たおやかな仕種。
私はすばらしい名画を前にしたように、
言葉を返すこともままならず、涙ぐんでしまうことすらあります。

何をどうすればああなれるのか。
その方法は知りません。
方法なんてないような気がします。
いつも、自分が好きでいられるように、
時にはほんの少し強がってみせたり、
そんなことをしながらも、歳を重ねるほど、
少しずつでいいから、若さの変わりの美しさを模索したいと思います。

まとまりなく、つれづれに書いてみました。
何か、伝わることがあればいいな。
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by otomeya | 2005-08-15 10:28 | 乙女文学

ここではないどこかにつれてって

青い目の少女や赤い靴をはいた少女が
わたしたちを誘惑します
どこへ....
おとぎの国でしょうか
異人さんの国でしょうか
それとも時計のない
静かな白い世界でしょうか

でも それはヒミツ...

*****

これは、少し前に蔵書整理でお譲りした古い太陽の、
お人形の号に載せられていた詩。

お人形を見るときに、ジュモウやブリュといったようなメーカーはあくまで参考で、
もっと素直に、そのお人形自体を感じたいといつも思います。
少し、低めのテーブルに立つお人形と目をのぞくため、腰をかがめる。
どんな表情をしているの?
何を思っているの?
気高く、強いお目目の少女。
私には見えない世界を見つめている少女。
誰かを待ち侘びているような、少し淋しそうな少女。
古くて遥かに小さいヒトガタは、そのとき少女になる。
彼女たちに心のなかでそっと語りかける。
そのとき、きっと、私は私のココロのずっとずっと奥にいる、
私の少女心に話し掛けているのかもしれない。
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by otomeya | 2005-08-11 11:39 | 乙女文学

幻の少女時代

かわいいもの、甘くて。
だけど甘いだけじゃなくて甘酸っぱいようなもの。

金子国義さんが言うところの
「なつかしいもの、やさしいもの、しかし、ただそれだけでなく、その中心に悲しみのようなもの、生きることの悲しみのよあなものが混じっている、そういうものが好きだ」(The西洋骨董*読売新聞社)

不精ながら、私もそういうものが好きである。

ただし、私の場合はそのなつかしさが、必ずしも私の記憶や体験の中にあるからなつかしいかというと、悲しいかな必ずしもそうではない。

あるだけで世界の空気が変わるようなお洋服だったりティーカップだったり、
お人形だったり古いレースだったり。
好きじゃない人にとっては、ただの汚いものなのに、ぼろぼろに変色した毛皮のテディベア。

私が好きなものは、そんなもの。

よい趣味をお持ちの方は、そもそも育った環境が素敵で、
ばあさまの大切にしていたお人形を譲り受けたことから、お人形が好きになった、
とか、
ご実家の蔵に眠っていた古布を利用しようと思って...。
幼い頃にもらったレェスのドレスが忘れられなくて...

なんて、そういう品々との思い出を聞かせてもらうとなんとも羨ましい。

私はごくしかし、普通の家庭で育ち、多感な少女の時代に、少女の為の品々に出会う機会はなかった。
今になって何の役に立たなくて、しかも価値だって対してないようなくたくたになった古い別珍りぼんや、古いお花のコサージュ、レェスのハンカチや古いドレスの切れ端を、大切に眺めたりしてなつかしがったりしている。

一体何がなつかしいというのだろう?
私に、そんな品々との思い出はないはずなのに!

古いレースのハンカチをうっとり見つめながらひとりで好きな音楽に浸るとき、
そこに時間や場所や個性は存在しない。
私という人間の存在もこえて、美しいものにひたりきってる。
そのとき、きっと私はただの「少女」。
アンティックのポストカードに閉じ込められた「少女」のように、
何も持たず、幻の、妄想の、架空の時間を生きている。

生きていくなかで、夢を持っていたら持っていた分だけ、
人はどうしても傷ついて場合によってはずるさも覚えてしまう。
だけど、傷ついたことのある私だからこそ、汚れたレースのハンカチを、
くたくたにつかれたテディベアを大切に思うのかもしれない。
大切に思った分だけ、それらは私に、束の間の夢を見せてくれるのだろう。
傷ついたって、悲しくたって、夢を大切に現実を生きる。
そんなことを考えた一日でした
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by otomeya | 2005-08-04 10:18 | 乙女文学