心地良さ

今日も、いろいろ思うこと、様々。

ひとそれぞれ、目指すところ、欲しいもの、快感を覚えるところ、違うのが当然なわけで。

そして、もちろん、それが変わることもあるわけで。


当然ですよ、いいなって思うもの、私だって、変わりましたよ


って、先日お会いした、敬愛する方がいってくださった。

その日、私は、お邪魔にならないように、なるべく早く帰ろうと思っていたのに。

引き留めてくださって、ポロリと話した一言を大事に覚えててくださって、そうして話を聞いてくれたのでした。


私は、まだまだしょーもないな、情けないな、こんなんじゃないな。

でも、こんなんじゃないなって思えることが、まだせめてもの救いなわけで、
じゃあ、どんなんになりたいの?と静かに静かに湖を覗き込んで、探す。

なにを?

自分にとっての心地よさを。


ちょっと言い訳めいていたけど、本当はすごくすごく欲しかったのかもしれない。

というか、きっと運命だったのよ、なんてやっぱり私は夢見がちだねー。



いつも大事なことは、一人になってから、気がつく。



そして、うん。

私はもっともっと、静かなところで、
そしてもっと広いところで、あなたを待っていたいみたい。



聖なるかな、私の願い。




*







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# by otomeya | 2017-06-29 23:20 | 日々の戯れ

お花

先日の記事(http://otomeyanet.exblog.jp/25875141/)は、大きな意味でも小さな意味でも、いつも思い出す。

たとえば。

私はガラスが好きで、古い物も新しい物も気に入った形があるとついつい買ってしまう。
使い道は考えなくて、惹かれたら、それはもうオブジェを求めるような気持ちで手元に置きたくなる。
割れた硝子の瓶なんかも、気に入るとそこそこいいお値段でも買ってしまい、戸棚に飾り、時々、覗いてにんまりする。

使えるものは、お花を飾る。

ある日、画家の吉田キミコさんのアトリエに伺う際に、ささやかな差し入れにブーケを買った。
100%気に入るブーケが無くて、でも、時間的にもうそこしかなくて、ちょっと妥協するしかなく、
とても心苦しかったのだけれど、それでも、気持ちをお花に託したかった。

キミコさん、気に入らないかもしれないけど・・・・不安に思いながら、手渡した。

キミコさんは、いやな顔をせず受け取ってくださった。
数分後、さりげなく、アトリエにあるそのあたりのものを選んでささっと、束ねなおした時、
私が妥協してプレゼントしたブーケは、考えられないくらいに素敵になって驚いた!

!!!!
あれが、こんなのに!!!!

ちょっとした並び替え、入れる器によって、こんなにも変わるなんて!!!!

非常にびっくりしました。


そのときまで、お花を選ぶことだけに夢中になっていたけれど、器も大事だったのだ!

それ以来、お花が活けてあると、花器にも目を向ける。
少しばかり、なにかがわかってきたような気がしたので、
今日は、好きなデザインの花器ではなくて、
花を魅力的に見せるための花器を求めに行った。

そう思ってみると。。。。。
ぜんぜん見えるものが違う!!!!!

花器のデザインだけでみると、こっちが絶対好きなのだけど、
先日いただいた花の高さやボリューム、散らせたいバランスは・・・・
と考えて買うのは、初めて!

こういうお買い物の仕方は初めてなので、本当に真剣勝負です。

お買い物は一瞬で恋に落ちたものだけを買ってきた私のこの心境の変化。


花器ごときに、そんなに真剣にならなくてもーというくらい、考えました。

今度は、その花器に合わせて、いろいろお花を選んでみよう。


いろんな記憶が重なって、未来につながるこの幸せな日々。

これからも、続くといーな。








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# by otomeya | 2017-06-28 23:30 | 吉田キミコ

なにをみているのか?

「なにをみているのか、なにをみようとしているのか、そのまなざしが大切。」

2012年の12月 大阪で美術家 山本じんさんの個展がありました。

そのときのトークイベントで、若手の作家にひとことメッセージを、と言われてじんさんがおっしゃった言葉です。

人形作家の人は、高級なグラスアイにこだわるけれど、そういう問題ではなく、その”まなざし”がよいなら、その目は石ころだってかまわないんだ、とおっしゃったのです。

その言葉は、人形を作っていない私にも、非常に響きました。

”乙女屋はなにをみているんだろう?”

”なにをみようとしているのだろう?”

ずっとずっと、自分に問い続けています。

また、別の機会に、じんさんがおっしゃいました。

「それはもう、一生懸命一生懸命にやることだね。」

「一生懸命、一生懸命に、自分が可愛いと思うものを信じて、作り続ける。
その可愛いと思うものが、みんな違う。
それでいい。

(少し間をおいて)

一生懸命、一生懸命に、すごく気持ち悪い物を作ろうと思う・・・・

(少し間をおいて)

うん、たぶん、それもいいんだと思う」



一生懸命、一生懸命に、何を見たくて、続けているんだろう?

ここ数年、本当に素敵な人に出会う機会が続いた。
本当に素晴らしい方ばかりだった。
今もご縁があるかたもいれば、もう会えないかもしれない人もいる。
それでも、ずっと出会ってきたすべての人と共有した時間が今の私を作っている。

そして、私は、何をみたいと思うだろう?

月日が過ぎるごとに、ますますあの言葉の深さに気が付きます。






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# by otomeya | 2017-06-27 00:17 | 山本じん

求めていること

共感してもらえるということは、とても嬉しい。

共感しあえるという瞬間は、もっと嬉しい。

乙女屋を訪れてくれる人に、来てよかった!と思ってもらうために、
たくさんたくさん、話をした。
そして、共感できることを、探そうとしていた。

だけど、すべてがすべて、共感だけで物事を考えるのは限界がある。
そんな当たり前のことに、やっと気が付いた。

共感できないものは、必ず存在する。
そもそも、そういうもののほうが多かったはずである。
だから、お店を始めたのだから。

共感でないものを共感できないもののまま認めたいと思う。

世の中には、共感できないものが存在していい。

必ずしも共感する必要はないし、共感されることを強制もしないこと。

それが当然の自然な状態なのだと、もう一度気が付いてほしいと思う。

同時にそれは、私にも(あなたにも)、相手に共感しないでよい自由もある。
そういうことだ。

それが何故大切なのかというと、そうじゃなくちゃ、自分の中の共感されないものを、なんだか粗末な欠陥品の烙印を押されたような気持ちになってしまうから。

それはとても悲しい。
相手の中にある大事なことに、そんな烙印も押したくない。


共感してもらえないものだって、大事にしていい。

当たり前のことなのに、これを頭ではなく深いところで理解するのに、結構時間がかかりました。

このことに関しても、共感しない人がいても当然だし、それでも別に、いい。













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# by otomeya | 2017-06-22 11:24 | 日々の戯れ

思い出すこと。

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10年以上前から、ずっと長い間、乙女屋にあり続けたアンティークのハンカチをお求めくださる方が見つかりました。

薄手のコットンの質感、丁寧なドロンワーク、非の打ち所の無い美しい刺繍。
すべてが完璧な、”乙女屋で売りたいもの”でした。

だけど、長い長い間、誰も手に取らなかったと思う。
少なくとも、私は目撃しなかった。

それでも別に構わなかった。
売れるから、が、問題ではなかった。
このハンカチは、とても美しかった。
あまりに美しくて、触れることさえ、憚られた。
なのに、そこにあるだけで、嬉しかった。
見るたびに、ああ、なんて美しいんだろうってうっとりとした。
自分は、このハンカチを使うにふさわしいと思えないくらいだった、
憧れですら、あったかもしれない。
だけど、いつの日か、似合う日がくるかな?と時々思ったり、
時々触れて、どきどきするくらい布地の滑らかさにうっとりしたり、
だれか、いつの日か、このハンカチを私と同じくらい、好きになってくれる人がいたらいいなと思っていた。
それは、どんなひとだろう?
そんなことを想像しては、時折、状態を確認して、乙女屋の抽斗にそっと直した。
それを何年も何年もずっと繰り返していた。

そんなある日、お求めいただけることになりました。

私が思ってきたすべてのことを、語らなくてもわかってくれたのかもしれません。
私が乙女屋をしてきた年月とともに、お求めくださったような気がしました。
すごくすごく、本当に嬉しくて、いろんな辛かったことが報われるような気がしました。
もしかしたら、そんなことが、その方が、その方の毎日で思っている何かとつながっているのかもしれません。
それってすごいな。
私は、そういうことがしたかったんだな、と最近つくづく思う。

だが、もちろん、そんなようなことでは、資本主義社会の中で生きていけない。
だって、乙女屋は、物を売る小売店だから。
売れ筋を分析、把握し、迅速に展開する。
欲望を煽り、どんどん拡大化、ブランディングを強固にすることを目指すこと。
小売店として資本主義社会で生き残っていくためには、必要なことなのだろう。

批判しているわけではない。
上記のように資本主義社会で戦っている人にも、信じていることがあり、真心があり、誠意があり、夢があり、守るべきものがあるのだ。
いや、だからこそ、きっと戦っているんだ。
そんなこと、私にもわかっている。

問題なのは、私が思い描く乙女屋も、それを目指しているのか?ということ。
そんな甘いこと、言ってる場合じゃないでしょ、と言われても気にしない。
私には、疑問が生まれたのだもの、そうしたら、考えざるを得ない。
誰かからの意見で誤魔化すことのほうが、甘えているような気がするもの。

私が欲しかった強さって、そういうものなの?

それは、本当に、本当にそうなの?


さて、それは、どうでしょう?


実は、たぶん、本当は答えはもう出ている。
だって、もう、始まっている。小さいけれど、あちこちで。

だからね、もう少し、ゆっくりしよう。



ハンカチには、本当に久々に、乙女屋のポストカードを添えた。


そう、これが私のやりたかったこと。


お届けできるのが、本当に楽しみです。












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# by otomeya | 2017-06-21 00:45 | 日々の戯れ

ずっと好きなもの


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手染めのお花作家 ピンクロゼッタさんのパンジーとすみれのブーケを撮影しました。


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何度届いても、その都度に新鮮な感動を覚えます。

何に使うわけでもないのに、ついつい手を伸ばしてしまいます。


コサージュピンもなにもついていないものが、なぜか特に好き。

自由に使えるから、でしょうね。



特にドラマチックな雰囲気が漂うビロードのパンジーです。


いつかアンティークになるまで、いろんな人の手を渡っても大事にしてもらえたらいいなと、思います。








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# by otomeya | 2017-06-18 22:07 | 日々の戯れ

静かに。

FANTANIMA!の後半会期も終了しました。

たくさんのご来場、ご支援ありがとうございました。


いろいろと思うこと、考えること、嬉しいこと、がっかりしたこと、たくさんあります。

最近は、パソコンを開いて、何か書こうかなと思うと、そういう感情を表す言葉がばらばらになって消える。


残念と感じているかというと、あんまりそうじゃない。

きっと、たいして大事なことではないんだと思う。


あらゆる場面で、対象に対して、強い思いを抱くことが減った気がする。

過ぎ去れば、すべてが同じ、ということを何度も繰り返したからだろうか。



夢見たことも、失敗したことも、悲しかったことも、嬉しかったことも、さらさらと、小さな砂のように流れて、だんだんと薄れていく。


それは、私個人の中の問題なのか、どうなのか。

よくわからないまま、夏の気配を感じて、耳を澄ます。




今年の夏も、大切にしたい。










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# by otomeya | 2017-06-15 12:17 | 日々の戯れ

今日はまた!

実は、また、椅子を買いました!!!!


先週、出会って一目惚れした椅子!


どうにも、こうにも椅子が好き~~~!!!!!



本日、届くので、るんるんごきげん。


ではでは、行ってきまーす。






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# by otomeya | 2017-06-10 11:51 | 日々の戯れ

夢を売る

ちょっと立ち止まって考えている。


私自身はお買い物が大好きで、お出かけがとても好き!

馴染みのお店に行くより、緊張する憧れのお店を訪れるのが、特に好き。
そこへ行くのにふさわしい御洋服を考えて、どきどきしながらの道のりを楽しむ。
お店に着いたら、自分がその店の空気を壊さないように緊張しながら、所作を正す。
そのような感覚は、代えがたい快楽を覚えます。

そこのお店に自分が抱いている幻想は、大体、自分の中に眠る何かを呼び覚ましてくれる。
そこまで夢を見せてくれるお店の店主は、一見普通に見えても、必ずしっかりと骨があり、それは隅々に行き届いている。

そういうお店でのお買い物は、物自体と同時に、その店主の美意識にも価値をおくということ。
その店の店主の表現をクリエーションとして消費したともいえるし、その人が見せる夢の世界を買ったともいえる。

私はそのような意味で、「夢を売る店」の存在に支えられてきた。
だけど、私が夢を買うことができたお店は、90年代中ごろから少しずつ減っていった。
インターネットSHOPのみに移行したり、オーナーがなくなったり。

夢が買えなくなることの落胆は大きかった。
自分の大切な場所を守る力が無いことがつらかった。
それが、前回の記事の「小さくてもいいから自分が守ることができる場所」にこだわった理由だ。

だけど、さ、私が上記に綴ったことと、「夢を売り物にする」っていうのとは、少し違う話だ。


「売り物にすること」と、「お商売」ということと、「売ること」

同じに見えるが、根本は両端において、まるで違うと思う。

自分は、何に価値を置いて、何を見て、進んでいくのかということを、今一度、再確認しようとしている日々。

それは、どちらがいいとか、わるいとか、そういうことじゃない。

ついつい、自分が正しくて、他がわかっていないとか、違うとか、ジャッジしてしまう癖があるので、
いつも、自分を戒める。
そうじゃない。
自分はどうするか?
それだけが、大事なこと。
他がどうするか、どうしないか、そんなことは、どうでもいい。

そして、その違いをわからない人がいても、気にしないこと、傷つかないこと。



自分の為に、選ぶ。

その道を進んだ先に、何をみたいのかということを、考える。


決して、誰かに褒めてもらうためじゃなくて、淡々と、進んでいく。


















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# by otomeya | 2017-06-08 22:23 | 日々の戯れ

梅雨入り

静かな長雨の大阪です。

梅雨入りした、とのうわさもききました。

雨の音を聴きながら、このブログを書いています。



思えば、ここ10年、常に強迫観念に近いものを抱えながら生きていたのかもしれません。

本当の願いは、

「小さくてもいいから、自分の愛するものたちを守ることができる場所を保ちたい」

ただただ、それだけでした。

それなのに、

そのために、何ができるのか、なにをすればいいのか。
そればかりに気がとられ、常に何かを意識し続け、翻弄されていました。

ある程度の経験を積み、なんとなく役割をもらえるようになったり、期待してもらうことなども増えてきました。


やっと手にした役割や、期待してもらった気持ちを裏切ってはいけない。

ますます、踏ん張るようになり、心が仁王立ち状態になっていた時期もありました。

一番、踏ん張っていた時期は過ぎましたが、まだまだ、自分の力量以上のことを、引き受けてしまっているかもしれません。


どうにも、今、よいしょと腰を上げられないまま。

仕方がないので諦めて、
ちょっと、束の間、立ち止まって考える数日を過ごしています。


「今の私は、ちょっと無理しているのね。

そっかそっか、うんうん、よく頑張ってきたもんね。

大丈夫、大丈夫、少し休んだら、また、動けるよ。

だから、少し、休もうね。」


と、自分で自分に言い聞かせて、ひとやすみ、ひとやすみ。



そんな時間も、必要なはず。


















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# by otomeya | 2017-06-07 15:47 | 日々の戯れ