甘酸っぱい空間

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「目下、私の好きなものを一言でいえば、甘ずっぱさのあるものということになろうか。
なつかしいもの、やさしいもの、しかし、ただそれだけではなく、
その中心に悲しみのようなもの、
生きることの悲しみのようなものが混じっている、
そういうものが好きだ」

何度となく引用させてもらったこの文章は、
蔵書整理最終回で売りに出している「The西洋骨董」の金子國義氏のエッセイの一部です。

金子さんの描く世界感はよく聖なるエロティシズムと言った
バタイユ的なほうばかり称賛されがちな感じがしているのですが、
そういう世界も含めて、すべての金子先生の世界に通じる価値観だと思います。
それは私が強く共感すりゆえのこじつけかもしれません。

生きていくことの、何が悲しいのか?と問われても、なんだかうまく言えません。
充分すぎるくらいの幸福な環境に、不満があるわけではありません。
私はこんなに不幸で恵まれない・・・というオーラの人は、苦手なくらいです。

金子國義氏には二回、直接お話したことがあります。
特別なパーティではもちろんありません。
展覧会のパーティでした。
テレビ出演も事前にわかれば、必ずビデオに撮ります。
とても穏やかで明るくて、傍にいる人まで幸福にしてくださるような、素敵な方です。
斜に構えたような暗い方ではありません。
その人からでてくる「生きることの中心にある悲しみ」は、
何か不満だからとか、不幸だから悲しいとは、絶対に違うと思います。

内田善美という漫画家の作品によく描かれる世界観に
「愛していればいるほどに悲しい」という価値観があります。
たとえば、愛する人を失ったとき・・・。
その人を愛していた分だけつらい。
どうでもいい人を失うのと、まったく違うはずなのです。

そこで、内田善美の出す答えはシンプルで当たり前のようで、
実はすごく強い思いが必要なものでした。

それは「いつか失ってしまうものを、今、そばにいるうちに思い切り愛する」
ということでした。
「たくさん愛した分だけ、たくさん思った分だけ思いは必ず帰ってくる。
だから、もっともっと愛せばいいんだ」
「そうすれば、一緒に過ごした日々ににた木漏れ日の中に(亡なったあとでも)母さんの伊吹を感じることができる」(草冠の半獣神より)

それが例えば、人じゃなきてモノや人形や、猫ちゃんになっても、
きっと近いものはあるのです。

骨董を愛する人の気持ちって、
根底にこういうのに近い思いがあるんじゃないかしら?

と思うのでした
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by otomeya | 2005-10-06 12:34 | 乙女文学


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