絵を手に入れるとは?

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乙女屋Salon 8周年アニバーサリーイベント 無事に終了し、
通販も一段落してきました。

画像は記念日に撮影した、8本の薔薇と吉田キミコ作品 油彩。

初日にご来店くださった女性が、真剣に購入を悩んでくれました。
とても可愛らしく若い女性で、気持ちを打ち明けてくれた時、とても驚きました。

「絵画を手元に置きたくなるのは、なぜだろう?」
「絵を飾って暮らすことに、どんなメリットがあるのだろう?」

改めて数日、考えました。

美術的な価値を踏まえて、絵画を買う人もいるでしょう。
一時期は政治活動の一環として、金銭を授受すると違法になるので、
代わりの物として、流通していたこともあると本で読んだことがありました。

また、コレクターとして系統立ててコレクションを楽しまれる方もいます。

大手の社長さんが、作家支援と税金対策を兼ねて、作品を買われることもあります。

私自身も、絵画をいくつか所蔵しています。
でも、理由は先に挙げたどの理由とも異なります。

理屈や理由ではなくて・・・・とにかくその絵が好きだった。
ただ、それだけでした。
でも、決して安いとは言えない作品を、そうまでして手に入れることは、なぜ?
手に入れてどうなった?

自分が作品を買うと決意した時のことを、思い出してみました。

物欲が満たされた満足感?
いえ、そうではなかった。

私の場合・・・、「手に入れた!」という充足感よりも、
「他の数々の自分以外のものから解放された開放感」が大きかったと思い出しました。

それはどういうことでしょう?

現代の世の中には、衣食住にまつわるあれこれ、
美容に関わること、レジャーのこと、様々なサービスが多くの情報を提案します。
どれもこれも、魅力的に見えたり、本当はどうしても欲しくないけれど、
他の人は持っているのかしら・・・と、不安になったります。

その情報を軸に考えると、絵画はまずリストに上がらないでしょう。

それでもどうしても、なぜか、その絵は私に必要でした。

その絵が必要だと、即座に答えられたことが、過去に数度。
最近、購入を決めた作品は、即座にそれだと答えることができませんでした。
ずっとその絵のことが心にあって、同じ作家の別の絵を待ってみても、
いつも、考えるのはその絵のことで、2番目に好きなものを選ぶことはできませんでした。
そして、やっぱり一番好きな作品を手に入れることにしました。

絵の購入は、即答できたときも、できないときも、
決めたときの気持ちは、「ああ、非常識な決断だけど、それでもこれが必要という決断をする、
それが私なんだ」という、常識から解放されて、自分を選択した開放感がありました。

他者や他からの何の情報でもない、ただ、私が、好き。
私に必要、この絵があれば、私はいつだって、私自身に戻ることができる。
そういう魔法を、自分のお部屋に手に入れた、
そういう安心感に近いような気持ちでした。

本当に好きなもの、それは日用品だったり、好きな食べ物だったり、
お洋服だったり、雑貨だったりそれは様々にもちろん本当に好きなものです。
もちろん、すべて愛しい、選んだのは私自身。
でも、「必要なものの中で、好きなものを選ぶ」ことと、
「自分の価値において、絶対的なものを選ぶ」ということは、
ほんの少しのようで、大きな違いがあるのだと、
私自身は感じています。

絵画=人形 に置き換えることも可能な気がしますが、
人形を求める気持ちには、また少し違うものもあると感じています。

乙女屋として8年が経過して、自分のことだけではなくて、
いろいろな考え方を知ることができ、だからこそ、自分はどうだろう?と考えることも、
とても楽しいです。

さて、絵画とは、なんでしょう?
若い彼女は、どんな選択をするでしょう?
彼女にとっての最善の選択を信じること、それが乙女屋の役割です。


あなたにとって、絵画は身近ですか?
手元に置きたいと思った絵画は、過去にありましたか?
記憶に残っている絵画は?
それはどこにありましたか?
その絵は、いま、あなたの横にありますか?

昔のヨイマチのキキ通信にあった言葉で名文があります。
「記憶に残る場所、そこにはいつも絵があった」
私の記憶にの頃場所にも、いつも絵がありました。

絵という存在は、魔法のようです。













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by otomeya | 2015-11-08 00:53 | 日々の戯れ


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