きれいごと?

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(増山ゆきえ 作 イラスト原画 近々webshop アップします)

今日も、乙女屋にとっては、沢山の方がご来店くださいました。

seraphimのお洋服お取扱いを再開してから、
「このお洋服を、初めて実物を手にします。
ずっと実物を見てみたかったんです。」
と、そぉっと、手に取られる方が、毎日ご来店くださいます。

気に入っていただけるものがあるなら、
ぜひ、ご試着していただきたくて、
着てくださる方によって、お洋服が見せる様々な様子が嬉しくて、
また、同時に、お洋服をきた方って、なんて素敵な笑顔になるのでしょうか。
その笑顔を見るたびに、嬉しくて、なりません。

この笑顔の為に、乙女屋をやっていたのだな、
と幸せになります。


また、お洋服じゃないけど、
そっと、静かに、乙女屋を訪れてくれる人がいます。
いろんなあり方で、ちょっと不思議な場所として、
乙女屋を必要としてくれる人がいる。

それが、正しいのか、ただたんに、未熟だからなのか、
わからないけれど、ほかのお店にはない何かが、
乙女屋にはあるようです。


ふと、この頃、乙女屋にいるとき、
ちっぽけな私自身ではなくて、
”乙女屋店主”という存在として、目の前の人と向き合う瞬間、
というものを感じたりします。

それは、”いい格好をする”とか、”虚勢をはる”というものではなくて、
なにか、天命のようななにか。
自分自身のエゴとか、自分自身の利益、ではない、
だけど、私にしかできないものが、ここにある、と思う、
不思議な感覚。


”私はね、ただただ、ここにあるものが好きで、やまない。
それだけで、世界に向き合っています。
大声をあげて、これらのものを主張しようとは思わない。
だけど、これらのものを必要としてくださって、
ここまで訪ねてくれたひとのことを、全肯定してあげられる”

という、自分を超えた、なにかが降りてくるような感覚です。

それは、自分をある瞬間に空っぽにして、
相手をありのままに見て、ありのままに認める、
ということ。
それを、なんだか、最近少しずつ、この感じかも、
と思うことがあります。


相手をありのまま、全肯定できる、ということは、
相手と同じくらい、それを受け止める人は、
同じくらい大きな壁を越えてきたから、ではないかと思います。
そう思ったら、これから、もしかしたら出会うかもしれない自分自身の壁とも、
楽しく向き合えそうですね、いや、できれば、辛い思いはしたくないですけど、ね。

本当の優しさ、というものに、出会ったことはありますか?
私は出会うことができました。
ありがたいことです。
でも、その本当の優しさ、は、非常に、とても厳しいものでした。
心地良くあれたことは、ほとんどなかった。
でも、私自身には、とても必要なものでした。
それは、私のこれからにも、とても大きなことで、
私もあのような本当の優しさを、持ちたいと心から思います。

本当に欲しかったものは、
ただ一つを除いて手に入りませんでした。

だけど、ただ一つ、今はそれが手元にあります。
それは、そう、乙女屋です。

いつまであるかもわからない。
その実態がなんであるかも、わかりません。

だけどね、今日は、この私の乙女屋のために、
時間を割いてくださって、しかも、大切な何かを、
そっと共有させてもらえる時間を、
心からありがたいと思いました。


乙女屋を立ち寄ってくださった方が、
ご自身本来のものに近づけることを心から願います。

みんな、自由でいいし、ありのままで、
認められるはずなんです。

それをまず、私自身も、もっと解放してゆきたいと思いますし、
もっと、小さないろいろを、丁寧に、
もっと大切にしていきたい、そう、もっともっと・・・と思います。








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by otomeya | 2016-02-27 23:04 | 日々の戯れ


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