思い出すこと。

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10年以上前から、ずっと長い間、乙女屋にあり続けたアンティークのハンカチをお求めくださる方が見つかりました。

薄手のコットンの質感、丁寧なドロンワーク、非の打ち所の無い美しい刺繍。
すべてが完璧な、”乙女屋で売りたいもの”でした。

だけど、長い長い間、誰も手に取らなかったと思う。
少なくとも、私は目撃しなかった。

それでも別に構わなかった。
売れるから、が、問題ではなかった。
このハンカチは、とても美しかった。
あまりに美しくて、触れることさえ、憚られた。
なのに、そこにあるだけで、嬉しかった。
見るたびに、ああ、なんて美しいんだろうってうっとりとした。
自分は、このハンカチを使うにふさわしいと思えないくらいだった、
憧れですら、あったかもしれない。
だけど、いつの日か、似合う日がくるかな?と時々思ったり、
時々触れて、どきどきするくらい布地の滑らかさにうっとりしたり、
だれか、いつの日か、このハンカチを私と同じくらい、好きになってくれる人がいたらいいなと思っていた。
それは、どんなひとだろう?
そんなことを想像しては、時折、状態を確認して、乙女屋の抽斗にそっと直した。
それを何年も何年もずっと繰り返していた。

そんなある日、お求めいただけることになりました。

私が思ってきたすべてのことを、語らなくてもわかってくれたのかもしれません。
私が乙女屋をしてきた年月とともに、お求めくださったような気がしました。
すごくすごく、本当に嬉しくて、いろんな辛かったことが報われるような気がしました。
もしかしたら、そんなことが、その方が、その方の毎日で思っている何かとつながっているのかもしれません。
それってすごいな。
私は、そういうことがしたかったんだな、と最近つくづく思う。

だが、もちろん、そんなようなことでは、資本主義社会の中で生きていけない。
だって、乙女屋は、物を売る小売店だから。
売れ筋を分析、把握し、迅速に展開する。
欲望を煽り、どんどん拡大化、ブランディングを強固にすることを目指すこと。
小売店として資本主義社会で生き残っていくためには、必要なことなのだろう。

批判しているわけではない。
上記のように資本主義社会で戦っている人にも、信じていることがあり、真心があり、誠意があり、夢があり、守るべきものがあるのだ。
いや、だからこそ、きっと戦っているんだ。
そんなこと、私にもわかっている。

問題なのは、私が思い描く乙女屋も、それを目指しているのか?ということ。
そんな甘いこと、言ってる場合じゃないでしょ、と言われても気にしない。
私には、疑問が生まれたのだもの、そうしたら、考えざるを得ない。
誰かからの意見で誤魔化すことのほうが、甘えているような気がするもの。

私が欲しかった強さって、そういうものなの?

それは、本当に、本当にそうなの?


さて、それは、どうでしょう?


実は、たぶん、本当は答えはもう出ている。
だって、もう、始まっている。小さいけれど、あちこちで。

だからね、もう少し、ゆっくりしよう。



ハンカチには、本当に久々に、乙女屋のポストカードを添えた。


そう、これが私のやりたかったこと。


お届けできるのが、本当に楽しみです。












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by otomeya | 2017-06-21 00:45 | 日々の戯れ


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