2018/01/08

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2018年の店舗営業が始まりました。

吉田キミコさんの絵がある空間、最高です。

今日は、冷たい静かな雨の祝日。
誰も来ないので、絵を前に椅子を置き、絵を眺めて思うことを、文章にしようと思う。

が、うまくいかない。

率直な最初の言葉は、

「なぜ、こんな空気を描けるんだろう。」

これだった。

この、なんというか・・・・なんだろう、もう、たまらなく、私は、ただただ好き、この絵が放つ空気が。

正直に言います。
私は、この絵を見て、素通りできる人の気持ちがまったくわからない。
何も感じない人のことも、なにもわからない。
私のほうが少数派なのだと、思うようになった。
それは、いろいろな経験をし、いろいろな人と出会い、経験を共にしたから。
色んな人がいて、それぞれの価値観で生きている。それでいい、それがいい、そう思う。


だけど、それでも、絵を前にして、私がこの絵を、言葉にできないくらい好きだと思うのは変わらない。

いろいろな経験をしたいま、むしろ、以前よりもますます愛しい。
この絵があるこの空気があるから、この場所を離れているときも、安心して社会と関わり生きていけるのだと思う。


と、いうのが、私の率直な想いです。

それでいいやん、という話なのですが。

が!
この絵を販売しようとする人間の言葉として、それだけでは何も伝わらない。



なんとか、この絵について言葉で説明してみたいと思う。
しかし、どうにか言葉にしても、嘘っぽく、何か違うねん、そうじゃないねんなーって自分の文章に違和感を持つ。

だんだん、これ、もう無理や、なんて思い始める。


なぜか。

それは、そもそも、この絵が放つエネルギーの次元が、今の世間に溢れるものとなにもかもが違うように思うんだ、と感じたから。


たとえば、うさぎを抱いた少年、という言葉から、人が思い浮かべるイメージは、それまでに自分が見てきた物を思い浮かべるだろう。

印刷物かも知れない、ネットの画像かもしれない、手のひらサイズの小さな絵かも知れない。

それを頼りに、言葉から、この絵のことを想像するだろう。
だけど、世間に溢れるうさぎの絵と、この絵はなにもかも違う。
ありがちな、”毒がある”とか、”孤高な”とか、”ノスタルジックな”とか”アンティークっぽい”とか、”油絵”とか・・・・
言葉にしたときに、私自身が思い浮かべるものとさえ、すでに違う。

実物を前にして感じる、大きさと質感、その絵が放つエネルギーは、なにもかも違う。


だけど、違うからこそ、乙女屋にある意味がある。
この絵を、手元に置きたいくらいに惚れ込んでくれる人は、誰だろう?

きっときっと、いるはずなのだ。

もし、現れないのなら、数年後には私のものにしようと思う。

きっと、年月が過ぎれば過ぎるほど、この絵への愛しさは増すだろう。


今すぐ、金銭に変わらないことで、落ち込むことはしない。

だって、金銭に変わるという理由で、この絵を愛しているわけではないから。


とはいえ、この絵を、手元に置きたいと思ってくれる人には、会いたいと思う。

だって、その人は、きっときっと素敵な人に違いないから。

















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by otomeya | 2018-01-08 13:58 | 吉田キミコ


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