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雑感 その2

作品展を観に行く、それ自体がすでに非現実的であるらしい。

しかし、私、及び、いま、周囲にいる人は、さらに作品展で縁があるなら、作品を手元に置きたいタイプが揃っている。

いつからそうなったのか、まったく自覚がなかった。
その盲点に気がついた。
気がつけて、よかった。
完全に狂う勇気と覚悟が私にはないから、常識を意識したうえで自分の距離感をつかもうとしている節があるから。

そのうえで、また、先日考える契機をもらった。

作品展を購入する際、そのときの自分の予算内を踏まえて作品を選ぶ、とおっしゃった。

そう、そうだ、それが当たり前。

と、思うでしょう?ですよね??


だが、残念な私は、その視点も盲点でした。

若い頃から、服だったり、アンティークレースだったり、唄だったりに支えられてなんとか生きてきたから、いつも自転車操業。予算内??そんなん考える余裕がなかった。生きていくために、わたしにはそれらが必要だった。


狂ってるのを承知で書きます。
理屈抜きに作品に惹かれ、やむにやまれぬ心理状態になり、自分の限界を超えているが、超えたいんだ、その予感を感じる作品だけを、わたしはいつしか買うようになった。
それは値段や大きさの問題ではなく、自分への挑戦であったし、自分に希望を抱きたい、最後の祈りでもあった。

逆に、そうではない、無理ない範囲で、で選ぶものを選ぶの余裕はなかった。作品は、自分を自分が求めるその先へ導いてくれる存在である、わたしにとって。


そこまで思わせてくれる作品は、小手先で作られたものではなく、作者も命がけで生み出したもの。
惹かれる作品の作者は、必ず憧れ、尊敬できる方々ばかりで、作品を手元におけることは、その人の命のかけらを自分の日常に加えさせていただける、ということ。
自分の日常に、憧れてやまない方の命の結晶が溶けこんでいく中で、不思議と自分も成長できてきた。

それがわたしの偽りない実感です。


一般的でないことはわかっています。
この考え方を広めたい、なんて気持ちもありません。

現在の展示でお人形をお迎えしてくれた方が
"ここで会わなければ、踏み切れなかったかもしれない"とおっしゃってくれました。
いつまで存在できるかわからない乙女屋が、役にたてたことは嬉しかっし、もしいつかなくなる日があっても、その方がそのお人形といるかぎり、今日、交換した想いのやりとりは、きっと、わたしとその人との"永遠"なんだと信じられる。

そういう、自分にとっても、作者にとっても、やむにやまれぬもの、それが、わたしにとっての"作品"です。




by otomeya | 2018-12-14 21:55 | お人形考


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