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羽のように軽かったなら・・・・。

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(2018年12月山吉由利子個展@乙女屋)


ひとつ前の記事(https://otomeyanet.exblog.jp/28434725/)で、ぬいぐるみは重さが大事というお話をしました。

そのお話を聞いた後、一人になって私が思い出したのは、山吉先生のこのお人形のことでした。

人形においても、生命力を感じる重さ、というものはあるのでしょうか?


主観になりますが、乙女屋が憧れる人形は、toy(玩具)としての人形と別の存在です。
人の手により作られているけれど、どこか現実の存在と思えないようなところがあるもの。
生きているみたいに精巧に作られていても魅力を感じない。
(山本福松さんだけはべつだけれど)、そういうものに惹かれます。

人形は物だから、触れることができるし、人間の思い通りに動かすことができる。
箱に入れて長い間封印することもできる。
”私の人形は良い人形”という蜜月を過ごすことはできても、どこか、現実のものではないように私は感じる。


そんな「私のよい人形」の重さはどうだろうか?


そう、昨年の12月、会期の途中から、私は山吉先生のアリスに恋をしていた。
たった10日間だけの幻の人形展で、幸福なことに私はずっと人形たちを守らせてもらった。
その空間で過ごす時間が長くなると、日常生活での感覚が遠のいていくように感じる。
普段、共に生きている人間との距離感がわからなくなり、人形たちの世界に近寄っていきたくなる。

そんな濃密な時間の中、何度も心臓が止まりそうになりながら、
(結果、本当に病院通いとなったという笑えない話まであるのです)、
何度も何度も、アリスの眼差しを追い、アリスの前に膝まづいた。

ある時まで私はアリスに触れたことが無かった。
そして、ある時、もし、この子が、羽根のように軽かったらどうしよう、と考えたら、動悸が止まらなくなった。

そう、私は人形は、羽根のように軽やかであったなら、たまらないのだ。


ああどうしよう、羽根のように軽かったなら・・・・
毎日一緒にいるけれど、私はやっぱり、アリスを抱き上げないで、向き合っていた。
私にはその日々が、苦しくなるくらいにときめいて、どんな日々よりも贅沢だった。

そしてある日・・・・
アリスを迎えに来てくれた人がいた。

それがとても嬉しかった。
アリスは私にとって、憧れで一緒に暮らすのは、ちょっと緊張してしまうから。

だけど、自分の店にある人形でさえ、触れることもできないくらいに愛しくて苦しかった時間は幸せだった。

うん、ただ、それだけのお話でした。



私は、こういう人形幻想を繰り返し思い出すのが、大好きです。





by otomeya | 2019-07-03 20:21 | お人形考


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