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カテゴリ:お人形考( 41 )

人形周り

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人形を扱う知り合いのお店へおつかいに行く。

うっかり、しっかり、自分が欲しい人形を見つけてしまう。
飾るところなんてもうないのに。
もう、すでにたくさん、お気に入りはあるのに。

なんで見つけちゃうかなぁ。
このタイプは、いままで持ってないし、初めて惹かれたんだよなぁ。

尽きない欲望に苦笑い。
さて、どうしましょうか。

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ちゃんとお仕事もしています。
お仕事というか、次のお仕事のための準備というか。

以前、コレクションしていた古時計を久々にメンテンス。

これも、わたしのなかでは人形周り。

なんてゆうかな。

人形が好きなんですね?と、問われると、
いや、そうじゃなくて、
となんか、いいわけしたくなるくせに、
やっぱ、人形好きなんやな、
だって、また、こうやって、欲しいと思うんやもん。


でもなんてゆうか、いわゆる人形っていうか、わたしの人形幻想的な気配があるものが好きだから、この古時計も、わたしの人形幻想の気配がある、だから好き。

で、そういうものばっかり集めて、人形がいない人形屋になりたかったけど、それはちょっと、現実的じゃあなかったから、でも、形を変えて、なんとかできないかな、と思ってみたり。


うん、つまり、相変わらずな自分でした。

あなたは、どう?





by otomeya | 2019-01-24 21:05 | お人形考

考えごと

「いい作品だと思う。
でも、売れにくいでしょう?」
と、言われる作品がある。

こちらから、そんな話をしないのに、あんまりにもいろんな人から同じように言われる。


それはなぜだろう?


思い出したのは、一時期、人形のグループ展でよく聞いた言葉のひとつ。 作者が自分の型をひとつ抜けた挑戦をし、周囲の評判がよかった作品だったが、売れなかった。そういう場合に、
「まあ、すこしアート寄りすぎたかしらね」という理由があげられていたこと。

もうひとつ、それも同じ頃の人形のグループ展で、世界観にこだわった展示をすると売れない、というアドバイスみたいな話をよく聞いた。作り込みすぎると、それを崩したくなくなり、そのブースを背景込みで一枚の絵のように見るから、という内容だった。

その頃、私はすでに、自分が創作人形をお金に変えるゲームみたいに考えられないことを感じ始めていたから、それらの話は参考程度にしか聞いていなかったのだけれど、どちらにも違和感があり、残ったままだ。


狭い世界なのに、だからか?一時期よく聞いたそれらの話題は、もうしばらく聞かなくなった。
私の交友関係が少なくなったからかもしれないけれど、しばらく忘れていたその話を思い出した。


が、いま、乙女屋でそのように言われる作品は、そのどちらでもないと思う。

では、なぜなんだろう?

見たことがない世界観だから、かな?
見たことがない佇まいのその"物"に、なにを感じていいのか、わかないのではないかしら?


そうかなぁ、どうかなぁ。

なかなか答えに辿り着かない面白さ、大事にしたいと思っている。





by otomeya | 2019-01-19 15:45 | お人形考

人形幻想

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「忘れられない人形のことを考えている」


忘れられない人形がある。
今日もその人形と、その場所に想いを馳せる。

思考はそのまま、今はもうないパリの人形屋の薄暗がりへとタイムスリップする。

何度か訪れたけれど、親切にしていただいたのと同じくらいに、中に誰もいなくて入れなくて、外から窓越しに中を覗いたときの、手の届かなさとガラス一枚隔てた憧れの実在への胸の高鳴りが今はも蘇る。

「お人形が好きなんですね」と、問われると、返答に困る。
多分、一般的な人形好きとはすこし違うから。
けれど、嫌いじゃないし、どうでもよくないから、好き、と答えればよいのだろうけれど、妙なところで潔癖症でみっともない自分語りを始めてしまう。


そんな自分が嫌だけど、嫌でも、これが自分だな、と思う。



by otomeya | 2019-01-13 11:55 | お人形考

自分であればいい

「自分であればいい」

この言葉に初めて出会ったのは、相澤歩さんのツイートでした。

そのあと、何度も自分の中で繰り返している。



で、ひとつ前の記事を書いていて、自分が"創作人形"に過度の幻想を抱いている事実に初めて気がついた!!

うわーーー、わぁ!そうなんや!!!

業界では、創作人形に過度の幻想を抱く存在って問題視されていて、時折話に上がっていたのだけど、自分もそうだった、という事実!



私が、"創作人形"にいだいている幻想をひとことでいうと、
「作者が内省し、自分であるために必然性があって、作られた存在である。」である。

であったなら、換金目的ではないし、なにかの模倣品だったりジャンル内に収まらないのは当たり前。

"創作人形"、なのだけど、売れ筋に固められた作風、サイズが、"人形屋"に並ぶ違和感が、私にあったのは、私の勝手な創作人形への幻想があったからだと気づいた。
こういう気づきって、自分がすごくすっきりして、自分についても、世界についても、解像度があがった気がする。気持ちいい。

で、私の抱く"創作人形への幻想"って、さらにその先があって、山本耀司さんの考えにもつながる。

「今、世の中の一般の人たちが美しいといっているものに対して、
(いや、違うかもしれないよ)と、
びゅっと引っかき傷を入れて歩くことがアーティストの役目」 といった、耀司さんの言葉。

たった一回の、どれだけ動員したかもしれない展示で売上挙げることよりも、とっても大事なことだと思う。


******


世間が決めたルールや価値観、多くの人がいいというものに、自分が流されていないか?
それが自分なのか??と、首元にナイフ突きつけるような作品が、人形であれ、服であれ、絵であれ、音楽であれ、本であれ、格闘家においても、あります。
そういう作品からの刺激は、学校や世間に言われてきたことと違うことが多いけれど、生きていくのにすごく大切なものだった。そういうものを恐る恐るながら選ぶようになってから、世界を愛しく感じるようになった。

生きることは、生易しいことじゃない。
生半可な気持ちじゃ、自分であれない。
でも、命かけて自分を生きたい。

私はそうおもう。
そのために乙女屋をやっている。

群れるのも、洗脳も煽動も嫌い。
自分で、考えて!!!
それはあなたなの??


自由でいたくて、そのために調和をしたくて、和ばらを愛している、というとこなのだよ、水脈、繋がってたー!!!


ただ、服に関してはsns発信前提で売る側、買う側の虚栄心に満ちる方が増えて、しっくりこなくなり、私レベルでは純度が保てなくなったから、引退することにした。


だから、人形にだけは、私は幻想をいだきつづけていたいなぁ、と思います。

和ばらはね、幻想じゃなくて真実だけどね、



感情のままに書いたから、意味わからないかもしれないけど、これが、乙女屋店主です。


とにかく、みんな、ね、

"自分であればいい"、と思います。




by otomeya | 2018-12-30 14:23 | お人形考

時が来る

「何気なく、扉を開けたギャラリー に、人形がいて、理由はわからないけれど、惹きつけられたんです。」

と、その人は言った。

「でも、その時は、決められなくて。
人形を買うって、他の物を買うのと、違うものがあって。」

(そう、うん。そうやんな。)

「でも、やっぱり気になって、後になってから、ギャラリー に問い合わせて、それで。」

そう、そうなんだだと思う。

いろんな人がいるから、全ての人がそうじゃない。

だけど、そういう人に出会えると、私は嬉しい。

私は、人形、とりわけ、"創作人形"という存在を、特別なものと感じている。
オリジナルで創作したから"創作人形"というのが、一般的なのかもしれないけれど、私は、そうは思えない。


工芸品ではない、趣味の嗜好品でもない、美術的でもない。作者の内省があり、観るものにも心情的な揺さぶりを起こすような、それまでの概念に鎌鼬のような風を起こすような自由な作品や作家の活動スタンスで作られる、ジャンルレスな"人形"が、私が初めて触れた"創作人形"の魅力だった。


作品を目の前に、世界が止まったように感じる。
あ、と、頭が真っ白になる。
あ、これだ。
でも、なぜ?
待って、なぜ?

出会ってしまったんだ。

で、この出会いを、

選ぶのか?
選ばないのか???


懐の事情もあるけれど、大事な問題はそんなことじゃない。

これが、ブランドのバッグだったら?
車だったら?旅行だったら?

金額はそれ以上だったとしても、そんなに抵抗が少ない人が多いと思う。



それでも、言葉にいえない抵抗より、惹きつけられて、抗えなくて、どうしようもなくて、自分の世界に人形の存在を選ぶ。


そういう"時が来る"瞬間が、何人かの人には、ある。


とても素敵な、不思議のひとつだと思う。








by otomeya | 2018-12-30 13:38 | お人形考

人形について。

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(山吉由利子 個展 「記憶のかけら」2018年 展示風景)

「山吉先生以外に、好きな人形作家さんていますか?」

と、聞いてみたくなった人がいて、思ったままに聞いてみた。

「いない。
わたしは、人形が好きなんじゃなくて、山吉先生の人形が好き」と、即答。

やっぱり。
なんとなく、そんな感じがした。

山吉先生の人形に、どうやって出会ったの?と、続けて問うた。

「昔人形 青山さんで。」

この回答も、やっぱり、と思う。

「人形に興味があって、青山さんに通っていた。
山吉先生のマンスリー展示で、初めて見たと思う。
なにもかもが衝撃だった。
すごく可愛い子がいた。
その時は、自分のものにするなんて考えられなかった」

という内容のことを話してくれた。

あまりにも好きすぎて、いや、そんな言葉でも語れない、怖いくらいの存在感、なのか、自分には恐れ多いと思うからか、手に入れることを躊躇する存在、ってある。私にも、あった。

わかるなー、そうなんだよな。

その人とは、なにかがすごく"合う"から、きっと、そうだろうな、と思って、聞きたくなった。
やっぱり、そうだよね、と思う回答が、すごく嬉しかった。

"人形屋"に、非常に憧れがあるけれど、様々な人形を取り揃えた店は、私の描く"人形屋"と、少し違う。


ぽつり、ぽつりと、静かに人形たちは待っている。

差し出されるはずの手は、むやみやたらに、あれもこれも触ったりしない。


媚びたりしない。
拒絶もしない。

そんなことを思わせる存在。

そういう人形って、なかなかいないと思いませんか?





by otomeya | 2018-12-29 19:39 | お人形考

雑感 その3

[女の子が展示を見に。お人形が凄く好きだそう。
展示はよく見に行くの?と問うと、ずっと行きたいと思っていたのだけれど、今日初めてとのこと。
創作人形に初めて出会ってもらう場所に、乙女屋がなったんだ、と思うと、涙が出る。その空間として、いまの「記憶のかけら」、最高でよかった。](2018/12/21 ツイート)


自分が、この感激を忘れたくないから、ここにも再度、ツイートを保存する。



お人形と、

いや、絵でも本でも、音楽でも、場所でも。


どのような文脈で、どのようにして出会うのか、は、大きな影響があるように、私は思う。



絵を描く、という、その女の子が、初めてみる人形の展示が、山吉由利子先生の「記憶のかけら」であったこと、とても素敵。

本当に、夢みたいに、奇跡みたいに、嬉しい。


あの子は、眠る前、なにを思って眠るだろう?


いつか、月日が過ぎたいつか、今日の時間を思い出すことはあるだろうか?


きっと、あると思う。




人形屋は、やっぱりロマンチックじゃなくちゃ。




雨が降る闇に浮かぶ店内で、この記事を書いている。



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山吉由利子 個展 「記憶のかけら」 2018/12/13〜12/25
http://otomeyasweet.blog.fc2.com/blog-entry-671.html







by otomeya | 2018-12-21 17:44 | お人形考

「クリスマスイブ」

なにげなく手に取り、熱心に読むでもなく、ぱらぱらとページをくる。

これにも、青山さんの文章、載ってるのかな?

あ、あった、あった、と見つける。

DFJで連載されていた「人形気分」
偶然、手にした回のタイトルは、「クリスマスイブ」。

1966年、1976年のクリスマスイブの思い出が綴られている。

その日を一緒に過ごした人に、「将来はどうするの?」と尋ねられ、「いつか、喫茶店でもやりながら文章を書く仕事がしたい」と、答えた、という。
--しかし才能もお金のアテも何もなかった。--と綴られ、
「あなたはロマンチストですね。その良さをいかして歩んで下さい」ともらった便りに、
--それは、生き方の定まらない人間はロマンチストにならざるをえない、ということであった。--と書いてある。


その10年後のクリスマスイブに、初めて骨董市に出店する準備をする様子が綴られている。
--その日、最初に売れたのが人形だった。お客さんと人形の話をしている時が一番楽しかったのも心に残った。私は「困難かもしれないが、いづれは人形専門の店を開こう」と決心した--と書かれてある。


青山さんにも、そんな時代があったんだな、となんともいえない気持ちになる。

青山さんの書かれた文章、まとめた本があればいいのに、と思う。





by otomeya | 2018-12-19 14:37 | お人形考

繋がる

何度繰り返した会話だろう?

大体、絶版になった小さな本についてから、話は始まる。
硬くて厚みのある表紙に守られて、非日常が深く広がる本だった。

「本で見ていただけの人形を、昔人形青山で見た」

「そう!そう!!!!」


話していて、共感する、というより、おそらくそれぞれがその時の自分の衝撃を思い返している。

話が特に膨らむこともなく、そのあとは、大体、人形に目線を戻す。


関西で創作人形に興味を持ち、年代が近い人とは大体、この話が同じ人とでも何度でも繰り返される。


ずっとそれが当たり前だった。
関西で、創作人形といえば、昔人形青山だった。


その頃の実感は、いまだに残っているけれど、いつしか月日が過ぎていた。
最近では、創作人形を最初に見たのはインターネットの画像の人が多いだろうか。
様々な創作人形の作家さんの情報を、手軽に誰でも、平等に調べることができる。
昔人形青山のことを、知らない創作人形ファンと会う機会もずいぶん増えた。
時が過ぎたのだな、と感じる。


2000年までの私は、今のような状況が訪れるとは思わなかった。


インターネットがない当時、一般的ではない展示の情報を手に入れることはとても大変だった。
手がかりはほぼなく、勘を頼りに、小さな店を自分の足で巡るしかなかった。
それらのお店は、店主と顧客のコミュニティがあるように感じられ、一見の私にはほぼ声をかけることはなかった。
恐る恐ると、フライヤーを集めてみたり、自分が交われない輪で広がる会話を密かに意識したりした。
そうやって、わずかな情報を貪欲に求めるしかなかった。

そうやって知ったマニアックな音楽やお店を知っているだけで、自分まで特別な何かになったような錯覚をできる時代だった。


私は昔人形青山さんのコミュニティには入っていない。
だから、青山さんについて知らないことばかり。
後になって、本当に私、知らなかったんだな、と思う。
青山さんはお話が好きだったと聞いたり、ワインがお好きで、作家やお客さんが交流するためのパーティも盛んだったそうだ。
参加するどころか、そういう店であることも、知らなかった。

青山さんが意地悪訳だったわけじゃない。
当時の私は青山さんに追いついていなかった。
ただそれだけ。そして、それが正しい、と思う。

何度も人形を見に伺った。
珈琲もいただいた。
惹かれる人形はあったけれど、手に入れるになにかと縁遠い感じがした。
質問が浮かぶようなところまで、自分が至っていなかった。

ただ、とにかく、創作人形に少しでも触れられる場所は、青山さんだけだった。
だから、時折訪れて、人形がいる空間に身を置き、珈琲を飲んで、自分の空想を楽しんで、お礼をいってコーヒー代を払って帰る。
それだけのことで、青山さんは、その頃の私のことを絶対に認識していないと思う。


お店を始めて、すこしたったころ、人形に関わることについて、悩むことができるようになった。
誰に聞こう、と、思って、青山さんが浮かんだ。
自分にとっての原点の青山さんへ伺い、あの空気を吸って、おこがましいけれど、青山さんにアドバイスを求めたいと思った。
言葉少なく、的確な答えをいただいた。
それがなければ、今の私はなかったと思う。


自分が人形を扱うようになっても、他の場所で販売経験を積んでも、私の原点は今でもあの頃の感覚が抜けきらない。
これはだめなことだろうか?
現在から取り残されているのだろうか?


さて、これからどうしよう、と自分が思う。


そう思っていた時に、ツイッターであるインタビュー (https://shimirubon.jp/columns/1692846 )に出会った。

その中の次の部分。

 以前、水道橋の飲み屋で、天龍や鶴田や馬場の試合をリアルタイムで見てきたおじいさんたちがいて、一緒にプロレス談議で盛り上がったことがあったんです。その時、相手に気を遣って「馬場が最強ですよね!」と調子を合わせたら、めちゃくちゃ怒られたんですよ。

「ダメだよ、兄ちゃん。嘘でも自分の時代のプロレスラーが最強だって言わないと」って。
「その世代の凄さはあなたたちが一番詳しいんだからさ、武藤と三沢の方が強い!って言ってくれないとつまんないじゃん」って言われて、ハッとしました。

燃え殻 そっか、やっぱり次世代が来たときに、ボクらの世代の凄さというのをガッチリ伝えないといけないわけだ。

これだーと、思いました。

全体で読んでもらわないと、誤解を持つ方もいるかもしれないけれど、決して自分たちが永遠に最高に正解だ、それ以外はだめだというわけではない、でも、逆に新しいもの、現在がすべてで、過去のものは何も価値がなくなる訳じゃない。

色んな価値があっていいのだから、私は、私が更新できずにいる感覚や価値観を大事にしていい。
それをガッチリ伝えたいと思った。
そのうえで、それを更新していくだろう新しい価値観にも、新しい目で教えてもらいたいと思う。

それが、私の役割かもしれないなぁ、と思う、今日です。







by otomeya | 2018-12-19 12:45 | お人形考

12月

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(山吉由利子 「少年」 / 「アリス」)

今年の12月の展示、半分過ぎました。

いつもお世話になっているかた、
初めていらしてくださったかた、
双方、嬉しいご縁に恵まれ、濃厚な時間を過ごしています。


2年前の個展では、先生が作られた空間があまりに衝撃で、余計なものを加えたくなくて、無音で展示をしました。

ちょうど、近所の建物が解体されていて、破壊される瓦礫の音が唯一が響いてくる。
その破壊音を聴きながら、ずっとお人形たちと向き合い、お人形に会いに来た方々と語らった。

そのときの破壊音は、とても心地よかった。
わかっているつもりになっていた自分の浅はかさが崩された音のようだったから。



それから2年が経て、今。

私なりの研ぎ方が、掴めそうな予感がしています。



12/17 のツイート。


山吉由利子 個展 


「記憶のかけら」


人形たちが静かに在る空間。


過不足ないシンプルな在り方。


生きてるみたい、とか、なんかニンゲンに近い方が価値あるみたいで、褒め言葉に思えない。きちんと人形である、その存在感が圧倒的なときにぐっとくる。


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ご都合つくかたは、ぜひ、ご来場ください。







by otomeya | 2018-12-18 19:37 | お人形考